【検証】北大「創基150周年」を考える
―北大がアイヌに負う現在の責任 私たちは巻き込まれただけなのか part1

2026年に創基150周年を迎える北海道大学。「メモリアルイヤー」に向けて学内では様々な準備が進む。「創基150周年」の「創基」とは札幌農学校が開かれた1876年から起算し、2026年に150年目となることを意味する。150年の北大の歴史。その歴史はどのように紡がれてきたのか。そして今後どんな時代が待ち受けているのだろうか。

本記事はある疑問点から出発する。札幌キャンパスが先住民アイヌのコタンを排除し形成され、北大は墓地から遺骨を”収集”する植民地主義的な研究を続けてきた。これらの事実をもって、「創基150周年」は単に「祝いごと」と捉えられるのか。
文化人類学を専門とし、「北大とアイヌを考える会」のメンバーの一人でもある、小田博志教授(文学研究院)の話を中心に、北大の歴史に携わる教員、大学事務局に取材を行った。
その上で、北大とアイヌとの関係において、
①排除されたアイヌ・コタンをはじめ、北海道の帝国主義的な開拓政策と北大が密接な関係にあること(近代)
②学問の名の下に差別的な研究教育活動が行われ、それが正当化されてきたこと(近代・現代)
③活動に問題があると判明した後に、大学として率先した倫理的な対応がとられなかったこと(現代)
という、これら3つの観点から北大の歴史を再検証する。

1⃣排除されたアイヌ・コタンをはじめ、帝国主義的な開拓政策と北大が密接な関係にあること
北大は本当に150周年か? 「最初」の起点と「公式」の起点
「北大の原点は札幌農学校にある」。北大生は入学式以来、ことあるごとにそう強調されながら学生生活を送る。北大のスタート地点はクラーク博士のいた札幌農学校であり、それは疑う余地の無い「常識」かもしれない。しかし、北大の起点は札幌農学校以前にあり、そして薄暗い背景をまとっていると知ったらあなたはどう思うだろうか。
「常識」通り、「創基150周年」は学位授与機関(大学など)としての札幌農学校を起点としている。ただ、この起点は北大の歴史の中で変遷を遂げている。例えば、東北帝国大学農科大学時代には大学昇格が定められた1907年、北海道帝国大学時代には「北海道帝国大学」設置が定められた1918年である。そして、戦後に新制の「北海道大学」となった後に札幌農学校の開校日1876年へと変化して今に至る。


ここで着目すべきは、北大の最初の前身校は札幌農学校ではなく開拓使仮学校だという点だ。開拓使仮学校は1872(明治5)年、北海道の「開拓」に従事する人材養成を目的として開学された。札幌への移転を念頭に、現在の芝公園・増上寺(東京都)の境内にあった。

開拓使仮学校には北海道土人教育所が附属機関として開設。土人とは当時の言葉でアイヌを指す。1872(明治5)年、北海道土人教育所と開拓使第三官園(東京都)に、石狩、札幌、夕張、小樽、高島、余市から35人のアイヌが送られた。これらの地域は開拓使札幌本庁に隣接し、開拓使の影響が強く及んでいた。また、74(明治7)年には余市から1名、択捉島から2名が加わり、計38名のアイヌが東京に送られたことになる。
アイヌを東京に送って教育を受けさせる。開拓次官だった黒田清隆は、アイヌの生活風習を「陋習(いやしい習慣)」「醜風(みにくい風習)」などとし、強制的な就学により、「文明的な」日本人の生活を学ばせようとした。送られた38人からは、死産の赤子を足した5人の死者を出した。栄養失調や脚気が死因とされている。強制就学による死者という「不評」を受け、1874年に閉鎖に至った。

北海道土人教育所の植民地主義的な側面について説明がなされているが、別の「北大の歴史」の展示では札幌農学校が起点として強調されている。(撮影:11月19日)
開拓使仮学校はその後、1875(明治8)年に札幌に移され札幌学校と改称、翌年には札幌農学校となり、かのクラーク博士が教頭として赴任することになる。
開拓使仮学校が北大の歴史の中で公式に起点となったことはない。札幌農学校以前の歴史が「公式の」歴史から不都合さを理由に軽視されているのではないか。
北大新聞は、全学教育科目の「北海道大学の歴史(論文指導)」を担当し、琉球史や琉球語を専門とする近藤健一郎教授(教育学研究院)に、北大の歴史記述について話を聞いた。
まず、「あとで補足します」とした上で、「札幌農学校が開学した1876年以降を北大の歴史とすることに恣意性は感じない」と述べた。開拓使仮学校から札幌学校までの課程が予備教育であったのに対し、札幌農学校以降は専門教育を行った。そのため、大学という専門教育機関の歴史を語る上で、学位授与機関である札幌農学校を起点とすることは「当然といえば当然」とした。
一方で、補足として「『北海道の開拓』において北大がどれほどの機能を果たしてしまったのかについて消し去ってはいけない。だからこそ(刊行予定の北大150年史などで)札幌農学校以前の話についても触れるべきだ」と強調した。また、「これまでもアイヌの話を北大の歴史の中に入れるべきだと主張されてきたが、自己規定である大学の歴史が記述される上で難しいのも事実」とした。北大150年史での取り上げ方として、例えば第一章で今はキャンパスのある土地でアイヌの暮らしが営まれていたことを扱うことや、本文でなくともコラムなどで北大と関連するアイヌの話を書き入れることを挙げた。
歴史の記述は大学の自己評価をし直す機会でもある。「学生に対してだけでなく、地域社会や世間、ひいては国際社会に対してアピールする機会だ」と近藤教授は述べ、「創基150周年」を機に、歴史記述を見直す必要性を強調した。