【受験特集:どんな道でも、道は道】第6回(3)誰のためかは自分で決める 2度目の受験と恩返し

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「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが、私たちはまだ「いろんな北大生」が北大生になった時の話を知らない。聞けそうで聞けない、在りし日のそんな話を取り上げるのが今回の特集「どんな道でも、道は道」だ。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。

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宗石晃尚さん(本人提供)


 今回の主人公は、医学部医学科2年の宗石晃尚(あきひさ)さん(21)=北海道釧路湖陵高校卒業=。落ち着いた穏やかな話し方と優しいまなざしが印象的で、笑顔がまぶしい。バレーボールに励むかたわら、北大くしろ会にも所属し、同郷同士の交流を深めている。
 フロンティア入試で工学部に「受かってしまった」宗石さんが、家族愛と郷土愛を胸に北大の医学生になる物語。2回の北大受験とその後の学生生活に、いったい何を思うのか。(取材:品村)

第6回をはじめから読む

やることが見つからない日々

長く孤独な仮面浪人時代を経て、北大生活の第2章が始まる。1年越しに参加した入学式には、父も釧路から駆けつけた。宗石さんは、1年前との式の微妙な違いを見つけては楽しんでいたという。

しかしそれは、気の塞ぐ日々の始まりでもあった。


 全国各地から集まってきた新入生たちが醸し出す、緊張感と未知への不安、友達や知り合いづくりに躍起になる必死さ、青く硬い雰囲気の中で、2年目の宗石さんは息苦しかった。
 「1年4月特有の空気に馴染めない。馴染もうともしなかった」。1年前は同じような立場だったはずなのに、「歳を感じた」。友達を作る気にもなれず、入学後のガイダンスにも行かなかった。同じ基礎クラスの学生の名前さえ、1人も覚えていなかったという。

加えて、前年度で取得した40単位のうち20単位が認定されたため授業は少なく、再び暇を持て余す生活になった。しかしその一方で、情報学Iや自然科学実験など、主要な科目で認定されないものもある。1年経つとカリキュラムも変わる。昨年度と同じ科目をやっているはずなのに、範囲が広がっていることや、内容が難しくなっていることに苛立った。前年度は出欠を確認していなかったのに、出席が必須になった授業もあった。授業の無断欠席はほとんどしなかったが、一度履修した授業に出席しなければならず、「時間を無駄にしている感じ」に嫌気がさした。「教養棟に行くのが辛かった」と語る。

高校時代から続けてきたバレーボールにも葛藤が生じていた。医学部バレーボール部に入部したものの、前期から悶々とし続け、11月にはついに一度休部した。「おもしろくなかった」「もうちょっと上手くなりたいと思って入ったんだけど、行っててあんまり成長してる感じがしなかった」という無力感を抱え、雪が深まる冬の到来まで体育館に顔を出さない日が続いた。

予備校のチューターのアルバイトも始めたが、生徒に共感ができないこともあった。受験生と自らの受験生時代を比較し思うことは、「もうちょっとできるんじゃない?」「自分って結構がんばってたんだなって」。勉強不足にもかかわらず高価な講座を多く購入する様子を見ると、 納得ができなかった。

膨大な「断続的な暇」を持て余して、「なにかやったほうがいいことはわかっているけれどできない」という燃え尽き症候群のような状態に陥った。YouTubeで「大学生 やるべきこと」などと検索して、これをやるべきなのか、と理解しながら結局やらない。自炊にも挑戦したが、一定期間でのまとめ買いができず、結局食費もかかってしまう。

遊ぼうともしたが、周りの友達も結局授業はあり、なにかと忙しい。医学部バレーボール部の土曜の朝の練習に、金曜の夜寝ずにそのまま参加するほど、生活のリズムも乱れた。体をあまり動かしていないために眠れず、ひとりアルコールに頼る夜もあった。「誰も自分ほど暇ではない」という状況は、仮面浪人時代とはまた違う孤独を与えた。「みんなうらやましいって言うけど、この立場になったら辛いんだと思う」と振り返る宗石さんの声色に、寂しそうな影が落ちていた。


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