【受験特集:どんな道でも、道は道】第6回(2)誰のためかは自分で決める 2度目の受験と恩返し
入ってから、いい大学だとわかったから
どの大学に出願するか、直前まで気持ちは揺れた。挑戦か安定か、本州か北海道か。ともに浪人していた友人にも北大を勧められたこと、引っ越しが億劫だったこと、札幌に来てから北海道の良さがよりわかったこと。様々な理由があったが、最後に北大医学部を受ける決め手となったのは、「北大に入ってからいい大学だとわかったから、2回目も行っていいかなと思えた」ことだった。
2月上旬には期末テストも終わり、大学生には長い春休みが訪れた。二次試験を直前に控え、宗石さんはほとんど外に出なくなる。カーテンもあけないアパートの一室で朝から夜まで勉強をし、食事を調達しに行くときだけ外の空気を吸うことができた。受験生でいた期間は、勉強時間を毎日記録していたが、二次試験直前の1週間だけは今でも時間の記録がない。記録をつける余裕もないほど、集中していた。
受験当日、高等教育推進機構。通いなれた「教養棟」で、学内のインターネット回線を使えることが嬉しかったというほど、意外にも緊張は薄かった。筆記試験は周りの緊張感につられる程度、面接も「知らない人と話す」こと自体に緊張した程度だったという。
釧路から応援に来た母が詰めてくれた弁当には、やはりとんかつが入っていた。一年前の固かったとんかつと変わり、専門店のものになっていたという。
良い点をとりたいという気持ちが強かったから、ひと科目が終わるごとに反省はあった。それでも、すべての科目が終わると、憑きものが落ちたように「まあいいか」と思えたという。
共通テストと2日間の二次試験を全て終えたその4日後、宗石さんは釧路行きの列車に飛び乗った。解答速報を見て概算した試験の点数は悪くなかった。面接の点数が半分ほどあれば、合格圏内。
オンラインで自分の合格を確認したのは札幌だった。「あ、受かったんだ、ってびっくりした」と当時の心境を話す。この春、退学・入学手続きのために釧路と札幌を3往復もした、と宗石さんは笑う。
医学部合格を知った2時間後、工学部の籍を離れるための退学届をもらいに行った。入学に必要な書類を投函してから高等教育推進機構へ向かい、退学届を提出。その間27分。スマートフォンのタイマーで計測していた。その時間だけ、工学部と医学部の二重の籍があったことになる、と冗談交じりに宗石さんは話した。
受験したいという気持ちは満たされたか、と記者が尋ねると、「満たされた」と即答。「もう受験になにも興味ないし、偏差値とかも今はよくわからない」と笑った。
長く孤独な仮面浪人時代を経て、北大生活の第2章が始まる。1年越しに参加した入学式には、父も釧路から駆けつけた。宗石さんは、1年前との式の微妙な違いを見つけては楽しんでいたという。
しかしそれは、気の塞ぐ日々の始まりでもあった。