【受験特集:どんな道でも、道は道】第6回(2)誰のためかは自分で決める 2度目の受験と恩返し

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「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが、私たちはまだ「いろんな北大生」が北大生になった時の話を知らない。聞けそうで聞けない、在りし日のそんな話を取り上げるのが今回の特集「どんな道でも、道は道」だ。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。

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第6回(1)はこちら

宗石晃尚さん(本人提供)

今回の主人公は、医学部医学科2年の宗石晃尚(あきひさ)さん(21)=北海道釧路湖陵高校卒業=。落ち着いた穏やかな話し方と優しいまなざしが印象的で、笑顔がまぶしい。バレーボールに励むかたわら、北大くしろ会にも所属し、同郷同士の交流を深めている。
フロンティア入試で工学部に「受かってしまった」宗石さんが、家族愛と郷土愛を胸に北大の医学生になる物語。2回の北大受験とその後の学生生活に、いったい何を思うのか。(取材:品村)


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「寝るか、勉強するか、食べるか」

思い通りの進路にならなくとも、平等に春は巡る。釧路を離れ、札幌に移った宗石さんは、2022年4月6日、札幌コンベンションセンターで友人と入学式に臨んでいた。感慨は特になかったという。「こんなに人がいるのか」と驚いたり、式次第を眺めたりするうちに式は終わり、帰路についた。宗石さんの仮面浪人生活が、こうして始まる。

 慣れない札幌の地でひとり、大学生活と受験勉強の二重生活。大学の授業に出る一方で、図書館に通い受験の教材を広げた。積極的に友達を作ることもなく、教室では、すぐに出入りができる前方右端の席にいつも座っていた。週末に受けた模試の後には、大通の地下歩行空間のベンチで、スターバックスのラテを片手に自己採点をした。受かるために必要な点数を数えながらふと、札幌にいることを実感する瞬間だったという。

北大北図書館の4階。この席はあまり周りから見えないため気に入り、よく使っていたという。


 誰かと話すわけでもなく、空きコマや休日には黙々と勉強に勤しむ日々。大学の図書館で東大の「青本」を広げていたら、他の学生に高校生だと勘違いされたこともあった。自炊もほとんどせず、平日は学食、土日は冷凍食品のパスタで済ませる。健康を害さなかったか、と記者が尋ねると、「大丈夫だった。だから、学食ってすごいと思う」と宗石さんは笑う。授業後に図書館へ向かう前に食べる夕食は、いつも北部食堂の夜セットだった。

「大学生になって、受験生のときほどがんばりが効かなくなった」というのはよく聞く話だが、宗石さんも例外ではなかった。記憶力も体力も落ち「これが老いかなあと思った」と話すが、それでもやるしかないという覚悟があった。

北部食堂で食べていた夜セット(本人提供)


工学部1年次の宗石さんの時間割(本人提供)。授業の前後は受験勉強を、空きコマは大学の課題を進めることが多かったという。


勉強ばかりの孤独な生活の中、数少ない息抜きとなったのは、サークル活動と家族との関わり。バレーボールのサークルには、月1回ほど、運動不足と孤独の解消のために参加していた。受験の面接練習はほとんどしていなかったため、「人と関われるサークルが、練習のようなものだった」と話す。ただ、週末の活動は模試と日程が重なるため、参加しないことも多かった。普段は積極的な活動もせず図書館にいることが多かったため、周囲には「真面目な人だと思われていたかも」と語る。仮面浪人をしていることは大学で出会った仲間には全く話していなかったが、「後から分かれば理にかなった行動が多かったと思う」と当時を振り返った。

ほとんど「寝るか、勉強するか、食べるか」の生活だったと宗石さんは話す。「ひとりでできることはそれしかない」。どうしようもなく孤独なときは、ひたすら勉強をするか、音楽を聴くか、家族に電話をした。250キロメートル離れた地元で暮らす家族とのつながりが、宗石さんを癒した。



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