【受験特集:どんな道でも、道は道】第6回(1)誰のためかは自分で決める 2度目の受験と恩返し
「これはまずいぞ」
上位20名ほどが北大へ進学する宗石さんの高校。しかし当時、宗石さんが目指したのは東大。「おもしろい人がいそうだし、行ってみたかった」。
ただ、成績上位の生徒は、当然北大へ行くものとみなされる。北大出身者も多い教師陣の授業では北大の入試問題が頻繁に出題された。
家族も、宗石さんが北海道に残ることを望んだ。「東京に行きたいのなら、行ってもいいよ」とは言われた。しかし、中学受験も、高校の進学先も宗石さんの意思に任せてきた家族が「北海道に残ってほしい」とも、初めて言った。強制されたわけではなかったが、高校の「空気」や、家族の気持ちを無下にはできない。
そこで宗石さんが取った行動は、北大の総合型選抜を受けること。総合型選抜は一般に合格しにくいとされるため、「北大を受けた(が落ちた)」という事実をもって、「(道外の大学を受けることを)許してもらおうと思った」と話す。
宗石さんが受験した工学部のフロンティア入試は、書類選考、筆記試験、面接からなる。試しに筆記試験の問題を解いてみた宗石さんの最初の感想は、「これはまずいぞ」。焦りが募る。解け過ぎてしまった。フロンティア入試は、合格した場合の入学辞退ができない。傲慢かもしれないが、第1志望ではない北大を「受ける」ことが目的だった宗石さんにとって、想定外の事態。一般的な受験生の感覚とは乖離したちぐはぐな不安は、高校の教師には一笑に付されたが、東大に行きたい宗石さんには切実なものだった。
11月、迎えた入試当日。緊張や不安は全くなかった、と宗石さん。だが、高得点は狙いたいというプライドがあった。筆記試験に続き、面接も穏やかな雰囲気で進行。「物理が好きであること・やる気があること・志望動機を話せて、スムーズに会話ができれば大丈夫」だったという。その日母が持たせてくれた弁当には、いつものテストと同じようにとんかつが入っていたが、あまりに固く食べられなかった。1年後に「あのとんかつは入れないで」と母に頼む日がくることを、当時の宗石さんはまだ知らない。
あっさりと終えたフロンティア入試の翌日からは、定期考査、模試、と試験が続き、合否の結果を心配したり、楽しみにしたりする余裕はなかった。東大に向けた受験勉強も再開した。
合否発表は、高校の担任と一緒に確認した。気を遣った担任が、二者面談の日を、合格発表の日に合わせてくれたという。合格の二文字を見て「おめでとう」と言う担任に「ありがとうございます」と返しながら、内心では「受かっちゃったな」と苦い思いをかみしめた。ただ、筆記試験の会心の出来を考えれば、当然の結果でもあった。
自分の受験は、始まる前に終わってしまった。勉強してきた英語も国語も社会も、これから力を入れるつもりだった化学も使えなかった。「なんだったんだろう」。むなしさが広がる。その日の帰り道、当時通っていた予備校を訪れ合格報告をしたが、その後はほとんど行かなくなった。
合格の結果に喜ぶ家族や教師、受験に向けて努力し続ける周りと、あっけなく「北大合格」を手にしてしまった自分。使い切れていない問題集を残して、一度目の大学受験が緞帳を下ろした。