【受験特集:どんな道でも、道は道】第6回(1)誰のためかは自分で決める 2度目の受験と恩返し
「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが、私たちはまだ「いろんな北大生」が北大生になった時の話を知らない。聞けそうで聞けない、在りし日のそんな話を取り上げるのが今回の特集「どんな道でも、道は道」だ。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。
今回の主人公は、医学部医学科2年の宗石晃尚(あきひさ)さん(21)=北海道釧路湖陵高校卒業=。落ち着いた穏やかな話し方と優しいまなざしが印象的で、笑顔がまぶしい。バレーボールに励むかたわら、北大くしろ会にも所属し、同郷同士の交流を深めている。フロンティア入試で工学部に「受かってしまった」宗石さんが、家族愛と郷土愛を胸に北大の医学生になる物語。2回の北大受験とその後の学生生活に、いったい何を思うのか。(取材:品村)
北大は、落ちるために受けた。「記念受験」でも両親の干渉でもなく、自分の意思で「不合格」のために。宗石さんがフロンティア入試へ出願した理由は、釧路で過ごした季節にある。
故郷で過ごした18年間
生まれ育ったのは、道東・釧路の地。ひとりっ子として育ち、家族との絆は深い。札幌に来てからも、両親や祖母とは、よく電話をつないでいるという。
小学校時代の印象的な思い出は、ピアノを習っていたこと。母と一緒に教室に通い、宗石さん、母の順でレッスンを受けた。今でも、実家では鍵盤に触れているという。
中学校入学後も、家族と過ごす時間が長かった。母の職場と学校が近く、車で送迎をしてもらう日々。母の退勤が遅くなるときは、生徒会の仕事をして時間をつぶすか、鍵を借りて車内で待っていた。
定期テストの日には、母がとんかつを入れた弁当を持たせてくれた。この験担ぎは高校進学後も続き、やがて大学受験の日にも、宗石さんに力を与えることになる。
湖面を臨む学び舎で
幼い宗石さんにとって、「医師」とはまったく身近な職業ではなかった。小学校時代、なりたかったのはコンビニ店員。というよりは、自宅の前にあるローソンの店員しか「知っている仕事がなかった」。
小学校時代は、「勉強はできる方だったけど、飛び抜けているわけではなかった」。地域の塾に通い、数学が好きになったという。
受験を経て入った中学校の「落ち着いていた」という環境の中で、成績は常に上位。生徒会活動に励んだり、合唱で指揮を振ったりもした、と思い出を話す。「指揮は友達に持たされたハリーポッターの杖で振ったけど、使いづらくて、間奏で床に置いちゃった」と、冗談交じりに振り返った。
中学校からの推薦で、地元のトップ校である母校の理数科に進学。高校入試の科目は面接と作文。「医学部に行きたい」と言えば面接での受けがいいらしい、という噂を聞き、初めて医師という職業を意識した。
「なんだかんだ楽しかった」という高校生活。湖を臨む丘の上の校舎に、週に1回ほど遅刻もしながら通学した。3年間を共に過ごした理数科の仲間とは結束が強く「学校祭では圧勝するのが定番だった」。教室では教師に向けて、黒板脇のフリースペースに他愛ない質問を書く。「趣味ありますか」「携帯なに使ってますか」答えを待つのが楽しみだった。漢字を間違え、国語の教師に指摘されては悔しがった。放課後にはバレーボール部の活動に参加。全道大会にも出場した。
物理、数学、英語が得意な「典型的な理系」だった。特に物理の、少ない知識で戦う明瞭さが好きで、問題を解くことが楽しかったという。