【新連載】いちばんはじめの「専門書」第1回 空井護先生(法学研究科・法学部教授)【前編】
今日の講義に、疲れたら。教科書を置いて、思い切って「専門書」を読んでみよう。講義室のあの先生だって、昔は学生だったのだから。寄稿連載「いちばんはじめの『専門書』」では、北大の教員や研究者に初めて出会った専門分野の本を教えてもらう。重たいページに挟まった過去のしおりを見つけたら、新たな世界が待っている。
新学期とともに新連載のスタートを飾るのは、「現代政治分析」(法学部専門科目)などを担当する空井護先生だ。サークルを続けるため大学院へ進むことにした不真面目な東大の空井青年が指導教官の三谷「先生」を見つけたのは、偶然手にした本のおかげだという。「なりゆきで学者になっちゃった」と笑う空井先生の1冊を、教えてもらった。
————先生の専門分野に関する本の中で、人生で最初に出会った1冊を教えてください。
日本政治史という私の最初の研究上の専門分野に関する本で、人生で初めて出会ったものとなると、記憶が曖昧だが、私が専門分野を決めるさいに、それとの出会いが決定的な意味をもった「専門書」は何かと問われれば、確信をもって答えられる。三谷太一郎『二つの戦後――権力と知識人』(筑摩書房、1988年)であり、6月15日発行の同書第一刷がいまも手元にある。
1988年といえば、平成への改元とベルリンの壁崩壊の前年。2年間の教養学部生生活を終え、4月に3年生として法学部に進学した空井青年は、年相応に、また人並みに進路について悩んでいた。
法学部生とはいえ、法律とか法律学とかにさほどの――有り体にいえば、まるで――興味なく、法曹どころか公務員さえ志望していなかったので、進学時に政治コース(第3類)を選択した(1988年度の進学者658名のうち、同コース選択者は55名の圧倒的少数派で、一時「廃コース」が取り沙汰された)。ここは民間就職が常道である。しかし、大学入学以来サークル部屋に入り浸っていたジャズ研(正式名称「軽音楽研究会」、略して「軽音研」)での音楽活動を、もう少し続けたかった。そこで本当の狙いはひた隠しにしながら、「学部時代に熱心に取り組んだこれといった学問がないので、大学院に進学し、修士課程の2年間だけ学問に専念したい、そのあとは堅気の職業に就く」と親を説得した。バブル真っただ中で空前の売り手市場、就職戦線への参入が2年くらい遅れたところで、勤め口はいくらでも見つかるはずだった。
こうして二十歳(はたち)の空井青年にとっての進路問題は、翌年秋に実施の大学院入試を、どの分野の専攻で受験するかに絞られた。もちろん広くいえば政治学専攻だが、政治学という学問も御多分に洩れず細分化されていて、美しくないどころか時に醜悪な現実の政治を扱うこともあれば、政治をめぐる崇高な思索を考察対象とすることもあり、現状分析もあれば歴史研究もあり、焦点を合わせる政治ユニットも国や地方、世界中で膨大な数にのぼるから、今も昔も法学部ではさまざまな政治学系科目が開講されている。どの科目の担当者に指導教官――当時は指導「教員」ではなくこう呼んだ――をお願いするか、これが問題だった。法学部の専門科目は、進学予定者向けに2年次から開講されるものの、その数は限られていたから、本格的な品定めは3年次以降となる。
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