北大発の市民団体、札幌のホームレスとともに24年―北海道の労働と福祉を考える会【上】
「いやな人」じゃない、「不器用な人」だよ
では、彼らはどうしてホームレスになったのか。多くのメディアでは、不況のあおりを受けて一気に転落の道をたどったホームレス像が描かれることも多い。僕らだっていつどこで、と記者が労福会代表の山内太郎さん(大学院教育学研究科博士後期課程中退)に話したら、意外にも「そういう人はほとんどいない」と返された。
「もし友達や家族が住むとこなくなったら、さすがに泊めてあげるでしょ。そうやって、大体は誰かに助けてもらえるはずだけど。そういう相手がいないから、路上までいっちゃう」
「社会福祉の専門家までさじを投げた人たちもうちに来る、ってのはあるけど。聖人君子は、いないよ。話を聞くと『なるほどな』ってなる」
そういう人を支援するのはどうしてですか、とよくない質問が記者の口をついたが、答えはシンプルだった。「だって、やっぱり死んだらいやじゃん」そう、山内さんから返された。
「ずっと一緒におしゃべりしてると、だんだん『ホームレス』から『何々さん』になっていく。その『何々さん』が死んじゃったら、寂しいものがあるよね」
どんなにいやなやつでも生きる権利はありますよね、と記者がさらに返したら。「『いやな人』っていうより『器用じゃない人』なんだ」と言われた。
「借金抱えて逃げ出した人とか、いるけど。『恥を忍んで誰かに頭を下げよう』とか、そういうことが苦手な人なんだよ。めっちゃムカつくこともあるけど、どこか憎めない。人と人との関係って、そんなもんでしょ」
事情があるから、助けてあげるのか。そもそも私は、助けているのか。同行した「夜回り」で現場を目の当たりにして、記者も自問せずにはいられなかった。山内さんから配られたパンを片手に「今日は2個じゃなくて1個じゃん、なんでー」とふてくされる、あるホームレス。その顔を見て、なぜか元気をもらってしまった。結局最後は明るい声で「またねー」と元気に手を振る彼女に手を振り返し「また来よう」と思えたあの気持ちは、少なくとも義務感ではなさそうだ。
(取材・撮影・執筆:田村)
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