北海道大学白菊会「感謝の解剖」からつながるもの

Pocket
LINEで送る


正常解剖150年の道のり―「懲罰の解剖」から「感謝の解剖」へ―

学問のための解剖は開学以来行われてきた。しかしその間には、正常解剖に対する社会的認識の大きな転換があった。

 日本が明治維新を迎える少し前から、解剖は行われていた。しかし長い間、刑死人や、遺体の引き取り手のない行路病者など、いわゆる社会的弱者と呼ばれる人々の遺体を解剖に用いることが一般的であり、「懲罰の解剖」とも表現されることがあった。

それを、「感謝の解剖」にしなければならないという動き、「献体運動」が1950年代にはじまった。献体を希望する本人と家族の同意(生前同意)が必要とされるようになった。

「『感謝の解剖』とは、『社会的に感謝される解剖』のこと」だと渡辺特任教授は話す。「白菊会に入会するきっかけは人生の種類だけあるだろう」。それでも、人生の終わりを考えたときに「自分の身体を役立ててもらいたい」と願う気持ちは会員に共通している。その思いを学生が受け取り、真摯に解剖に臨む。それはやがて、彼らが医師・歯科医師となったときに、きっと国の医療への安全安心となる。つまり、一市民、一国民の篤志がよりよい医療へつながるのだ。まさしくそれは「感謝の解剖」である。

献体運動が始まった最初の20年間は、社会的認知度も低かったが、解剖学関係者による懸命な普及活動の結果、90年代になると解剖に用いる遺体のほとんどが献体によるものになった。「以後30年のあいだは、献体不足という状況を経験したことがなかった」と渡辺特任教授は言う。

次ページはこちら「コロナ流行がもたらした献体不足の危機