学生記者VS北大入試、代表が現代文に大苦戦…?【2024年度国語第1問】
第1問(3)
傍線部の1文によれば、3ページ8〜15行目で述べられている実験が「ボディ・イメージが変化してる」と示す「証拠」だとのことで、じゃあどういう実験か見ていきます。あらま、サルの脳から電気信号が送られて動くロボットアームですか。アカゲザルのオーロラくんには元々2本しか手がついてなかったんだろうと思いますが、実験チームは彼にロボットアームを動かさせることに成功したとのことです。オーロラくんからしたら「右手、左手、ロボットアーム」みたいな感じになるんですねきっと。
で、この実験からわかったことが書かれてるのが3ページの残り部分(引用ですね)、考察がまとまってるのが4ページ1〜3行目。要するに、傍線部の言い換えです。「身体イメージは、可塑性が…流動的なものとして存在している」ってのが若干抽象的で「はて?」ってなってたら、直後の4〜9行目に具体的な例が書いてありました。確かにたくさん記事を書いてきた僕のパソコンはほぼほぼ僕の身体になっちゃったけど、他者の身体やコミュニティまで「自分の身体」扱いのイメージになっちゃう、まで踏み込むなんてちょっと面白いですね。そして、おそらくこの身体イメージを筆者は「流動的身体」と呼んでいる(4ページ10〜11行目)。
ザックリ話をまとめると、関係を築いたり絶ったりすることでもともと「自分の身体」じゃなかった何か/誰かが自分にとっての「自分の身体」になったりその逆が起きたりする、ってことです。大学生の太郎くんがレポートを書きまくったらパソコンは太郎くんにとって「太郎くんの身体」になるし、束縛強めな花子ちゃんが彼氏をもったら赤の他人だった彼氏さんは花子ちゃんにとって「花子ちゃんの身体」になる、ってことか。なるほど。こういう意識の延長線上に「国家」と「個人」とを同一化するナショナリズムがあるのかも、なんてぼやきたくなったのは多分僕が政治学やってるせいですね。脱線すると長くなるから、とりあえず続きを読みます。
4ページの残りと5ページ1・2行目、議論の対象が拡張されてますがまあメインの主張はほぼほぼ同じです。ここまで見てきた「身体イメージの拡張」=パソコンが太郎くんの身体になっちゃう現象がバーチャルな空間でも発生するって話ですね。戦士の肩がバッキバキな肩にとって代わる現象は、どうやら僕の個人的な感覚ではないようです。
ということで、そろそろ答案書きますか。ここまで見てきた通り、
「ボディ・イメージ」=「こらない肩」を「本物の身体」としてとらえる私たちの身体イメージ(∵傍線部の前)
「イメージが変化する」=関係が変わることで、「身体」ではなかった何か/誰かが「身体」になったりその逆が起きたりすること(∵傍線部の後)
だと分かるので、あとはこれを50字以内に収めて完成。
解答案:主観的かつ観念的な「自らの身体」の知覚はその対象が客体との関係変化に基づき可変的だ、ということ。(48字)
「的」連発なのが気に入らないですが、意外と字数が窮屈だからしょうがない。なんでかは知らないけど、固い言葉になるほど字数削減に便利なんですよ。以上、(3)でした。