【受験特集:どんな道でも、道は道】第4回(3) 将来の夢は、日本で見つけた 梁冠宇さん(水産学部4年)

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「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが、私たちはまだ「いろんな北大生」が北大生になった時の話を知らない。聞けそうで聞けない、在りし日のそんな話を取り上げるのが今回の特集「どんな道でも、道は道」だ。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。

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今回の主人公は、台湾出身の水産学部4年生、梁冠宇(りょう・かんう)さん(22)=台湾・新北市立板橋高級中學卒業=だ。留学生、と聞くと交換留学制度による留学生や海外出身の大学院生を想起しがちだが、学士課程において日本人学生と全く同じカリキュラムを4年間履修する海外出身の学生についてはよく知らない読者も多いのではないだろうか。「190cmのムキムキマッチョだって書いてね」とジョークを飛ばす陽気な梁さんの経歴に、記者が迫った。(取材:田村)

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現在の梁さん(本人提供)

準備して勝つ、ただそれだけ

日本語を習得した梁さんは、本学の私費外国人留学生入試(以下、留学生入試)に向けた準備を始める。研究船の存在や新渡戸カレッジの活動に魅力を感じたことが、本学を受験する動機となった。

対策に難しさを感じたのは、第2次選考の総合問題だ。一般入試とは異なり、本学は過去の留学生入試の試験問題を公式発表していない。いわゆる「過去問」がない状態での試験対策について、梁さんは「伝わりやすい文章の書き方を練習しました。本番では答えるために大学レベルの知識が必要かもしれない問題が出たけど、一応それっぽく書けた」と話す。

ただ、過去の出題を分析できずに試験に臨むことについては他の受験生も同様だ。難しい対応が必要とされる中で、日本語能力の高さが大きな強みとなった。

そして梁さんが「日本に来てから一番怖かった」と話したのが、面接だ。
「これまでは多少間違った日本語を話しても大体伝わるからどんどん話せたけど、面接で変な日本語を話して言いたいことが正しく伝えられなかったら試験に落ちちゃうでしょ。これまでの努力が水の泡になっちゃう、と思ったら緊張した」

緊張したら笑顔の試験官を見るようにした、という梁さんは面接も無事に乗り切り、本学への入学を確定させる。自身の受験勉強を振り返って「そんなに面白くない話かもしれないけど、受験はそういうもの。準備して勝った、だから僕はここにいます」と、梁さんは語った。

北大に来て、よかった

2019年4月に晴れて本学に入学した後も、梁さんは積極的に日本人学生に混じって関係を築いていく。キャンパスライフについて「外国人用の寮は半年で出なきゃいけなかったし、意外と留学生との関わりはないね」と笑う梁さんには、実は日本人の彼女までいるという。「必修の微積の授業でたまたま席が隣になって、教科書を見せてもらったところから仲良くなった」と教えてくれた。

「日本人とたくさん話したから日本語が上手くなった、というのはある。周囲にも優しい人が多いので、自分は幸せだと思う」

「小さいころから何度も日本に来たことがあるからカルチャーショックもほぼないし、困ったことは特にない」

ただ、水産学部での学習は、梁さんの想定からやや外れていたようだ。

「研究室訪問ができればよかったですけど、鹿児島からじゃ難しい。オンライン環境も、コロナ前の当時はまだ整ってないですよね」

それでも、梁さんは「北大に来てよかった」と言う。

「北大に来る前は、水産資源の安定供給ができないのは技術に問題があるからだと思っていました。でも、北大で水産学を学んでみて、改善すべきは技術というよりむしろ経済的な面だと思うようになりました」

関心の変化に合わせて、将来の目標も変わった。研究者志望だった梁さんは、日本の総合商社への就職を希望するようになったという。

北大の教員や学生と起業もしたと語る梁さんは、インタビューの最後に胸を張った。