【受験特集:どんな道でも、道は道】第3回(1) 勉強だけがすべてじゃないけど、受験勉強するといい 黒川滉太さん(文学部2年)

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「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが、私たちはまだ「いろんな北大生」が北大生になった時の話を知らない。聞けそうで聞けない、在りし日のそんな話を取り上げるのが今回の特集「どんな道でも、道は道」だ。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。

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今回の主人公は、文学部2年の黒川滉太さん(22)=徳島・県立城ノ内高校(現・県立城ノ内中等教育学校)卒業=だ。英語の授業で記者と初めて会った時に「一度入った大学を自主退学して北大に入学した」とあっけらかんと話してくれたその姿を見て、特大スクープよりも友達の記事が書きたいと初めて思ったことを覚えている。合格して喜んだ後の話が聞きたい、と取材を申し込むと二つ返事で引き受けてくれた黒川さんの道のりに、記者が迫った。(取材:田村)

現在の黒川さん(本人提供)

「空気」に押されて、理系を選んだ

「中学受験をした」と書くと、黒川さんの少年時代が正しく伝わらないかもしれない。遊んでばかりのやんちゃな小学生だった黒川さんに勉強をさせるため両親は黒川さんを地元の塾に通わせていたものの、黒川さんは学年が上がっても受験勉強らしいことはしなかった。その結果、「とりあえず受けとくか」で受験した中学(中高一貫校)に合格しただけだという。
「家の周りの田んぼで野球したり釣りに行ったりしてたから、ホンマに田舎の子って感じ。小学校の勉強では困ってないから授業の補習じゃない方で行こう、ってしたら塾で受験の準備することになったんよ」

だから中学に入った時はちょっとショックやった、と黒川さんは回想する。
「受験勉強ガッツリやってた子ばっかりが県内各地から集められてるとこになぜかおれが来てもうたって感じで、やっぱり浮いてるなって。成績も下から数えた方が早かった」

幸いにも周囲に理解者がいたため学校生活は楽しかったが、勉強したのは試験があった時だけだという。
「高校に上がるタイミングでクラス分けテストがあって、そこで上位の応用クラスに行けない=バカ、って思われる。ここで落ちたら勉強せんと思って初めて2ヶ月くらい必死に頑張ったけど、ぎりぎり応用クラスに入れたからかえって勉強しなくなった」

うっすらと数学に苦手意識をもち始めた高校2年の春にはなんとなく理系を選択したが、すぐに物理と化学の授業についていけなくなった。
「45人しかいない理系の応用クラスでも、模試ではずっと40番台。成績が上がらないから、なおさら勉強しなくなる」 

受験期を迎えても、理系科目が分からずに勉強量が停滞する悪循環は止まらなかった。結果、黒川さんは第一志望だった本学の総合理系を諦めて上位国立大(以下、A大と表記)の理系学部へ進学する。
「センターの物理と化学足して100点なかったんよね、ヤバいでしょ。国際ランクもそこそこ高いし偏差値もお手頃やから、ってことで志望校をA大に変えた」
「理系科目ができなかった分英語の勉強に逃げてたから、二次の英語の点数で受かったようなもんよ。当日の出来だと正直受かると思ってなかったから、発表みてエーッてなった」

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