【受験特集:どんな道でも、道は道】第2回(3) 高2で中退も進学あきらめず、高卒認定試験を経て北大へ 金井舜平さん(教育学部2年)

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「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが、私たちはまだ「いろんな北大生」が北大生になった時の話を知らない。聞けそうで聞けない、在りし日のそんな話を取り上げるのが今回の特集「どんな道でも、道は道」だ。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。

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第2回の主人公は教育学部2年の金井舜平さん(20)だ。多くの受験生が勉強に本腰を入れ始める高校2年生の冬、金井さんは通っていた高校を中退した。「高校を辞めて色々なものを失った。取り返せるのは大学進学だけ」。決意を胸に、高卒認定試験を受験し北大に合格した金井さん。その経歴に記者が迫った。(取材:佐藤)

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高2の冬に留年が確定、高校中退を決める

高校時代の金井さん(左)(本人提供、一部加工しています)

高校受験を経て地域で一番の進学校に進んだ金井さん。中学校時代の先輩に誘われ、高校でも剣道部に入部した。

英語では学内のプレゼンテーション大会で優勝するなど相変わらずのぶっちぎりだったが、数学の苦手意識も変わらなかった。そんな金井さんの数学嫌いに拍車をかけたのが数学の担当教員だった。

「理由は分からないけど、目をつけられた。課題をしっかりやってきたのにやってきていないことにされたり、何度も指名されて嫌味のようなことを言われたり。そういうことが何回もあって、いつからか数学の授業になると、緊張して冷や汗が出たり手が震えるようになった」

夏休みが明けても症状は良くならなかった。ストレスが増え、「今日は無理かも」と学校に行けない日が出てきた。ついに限界を迎えたのは1年生の冬だった。

「いつものように学校に行こうとしたけど、呼吸が苦しくて過呼吸みたいになって学校を休んだ。その後何度も行こうとしたけど、学校の門を見るだけで発作が出ることもあり、結局1年生の間は登校できなかった」

迷惑がかかるからと部活を辞めた。2学年に進級するための出席日数が足りなくなり、進級のために補充授業を受けなければいけなくなった。学年末になると、数学の教員と鉢合わせすることがないよう、1人校舎と離れた別の建物に通って補充授業を受けた。

「補充授業を受けて何とか2年生に進級できた」という金井さん。2年生になると数学の担当教員も変わり、4月からは少しずつ学校に行き始める。しかし、完全に元通りにはならなかった。

「授業でかかわることはなくても、学校ですれ違うこともある。その先生に会うと、トラウマスイッチみたいなのが発動して、心臓がどきどきする」

「クラスに行けば仲のいい友達がいるのに、朝、登校して校門に入っていくことがちょっときつかった」

いつからか学校へ行くこと自体がストレスになっていた。カウンセリングや投薬治療を始めたが、登校できるのは週に1~3日。当然出席日数は足りなくなる。全く登校できない時期もあり、気づけば、補充授業を受けても3年生への進級が危ぶまれる状態になっていた。

「実は高1で学校に行けなくなったときから、家族からは『高校を中退する選択もある』と言われていた。このまま学校に行こうとして苦しむとどんどん傷が深くなってしまうし、時期が早い方がその後のアクションが取りやすいからって」

「でも、自分が高校を辞めるという想像がつかなかった」

中退をためらったのにはもう1つの理由があった。

「高1の時に英語のプレゼン大会で優勝して、高2の10月に地区の大きな会場で発表をすることになっていた。一緒に準備をしている仲間に迷惑をかけたくなくて、その発表までは頑張ろうと思っていた」

決意通り10月のプレゼンテーション大会はやり切ったものの、12月にはついに留年が確定する。

「ショックだった。来年、みんなが大学受験をする中で一人だけもう一度高2をやるのはちょっとなあって。英語のプレゼンが終わってからは自分でも中退について考えるようになっていたけど、留年が決まると、決心がついた」

高校2年生の12月、中退届を出した。

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