【受験特集:どんな道でも、道は道】第2回(1) 高2で中退も進学あきらめず、高卒認定試験を経て北大へ 金井舜平さん(教育学部2年)
「大学には、いろんな人がいる」そんな言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが、私たちはまだ「いろんな北大生」が北大生になった時の話を知らない。聞けそうで聞けない、在りし日のそんな話を取り上げるのが今回の特集「どんな道でも、道は道」だ。はたから見れば小さな、でもそばにいれば大きな選択にじっと耳を傾ければ、等身大の北大生が見えてくる。
第2回の主人公は教育学部2年の金井舜平さん(20)だ。多くの受験生が勉強に本腰を入れ始める高校2年生の冬、金井さんは通っていた高校を中退した。「高校を辞めて色々なものを失った。取り返せるのは大学進学だけ」。決意を胸に、高卒認定試験を受験し北大に合格した金井さん。その経歴に記者が迫った。(取材:佐藤)
最初の不登校は小学4年生の時
愛知県半田市に生まれた金井さん。幼少期に父の仕事のため1年ほど三重に住んだ他は、大学進学までずっと愛知で過ごした。小さいころは「めちゃくちゃ活発でもなく、めちゃくちゃ奥手でもない、普通の子供」。地元の公立小学校に通い、放課後はランドセルを放り投げて公園に走った。
「小学生の頃は理科が好きだったかな。〇〇を加熱したらどうなるかとか、国語・社会よりも勉強する内容がイメージしやすかったから」
「宿題はまじめにやらなかったけど、勉強で苦労することはあまりなかった」
父親の勧めで3歳から英会話を始め、毎週1時間、外国人の先生に発音などを教わった。研究職をやっていたことのある両親の影響もあり、将来は理系の研究者になりたいと漠然と思っていたという。
そんな金井さんは小学校4年生のとき、担任の先生が原因で学校へ行かなくなる。
「クラスで気に食わないことがあると、授業を2、3時間つぶしてお説教をしたり、生徒一人一人を問い詰めたりする先生で。『あ、これ無理だ』って思った」
無理をして登校を続けたが、6月のある日、ついに限界を迎える。学校へ行こうと家を出たが足が進まなくなり、泣きながら家へ戻った。それからはほとんど学校に行かず、家で過ごす日々が始まった。
「さすがに勉強しないとやばいと思って、家で教科書を読んで問題を解いた。あとの時間はゲームをしたりテレビを見たり。両親は仕事だったから、家で一人でいることが多かった」
「母は研究の仕事の後に学校の先生をしていたから、仕事をする中で不登校の生徒も見てきたんだと思う。俺が不登校になって驚いたとは思うけど、無理に行けとは言わなかった」
4年生の間は学校に行けなかったが、5年生になって担任の先生が変わると、また問題なく登校できるようになった。家での自主学習の成果もあり、学校へ復帰した後も勉強でついていけなくなることはなかったが、算数だけは塾で教えてもらい、遅れを取り戻した。