本学教員に聞く「令和」典拠の万葉集
4月1日、菅官房長官によって新元号が「令和」と発表され、5月1日より元号が「平成」から「令和」に変わった。北大新聞では、新元号「令和」の出典となった「万葉集」について、専門に研究している本学大学文書館の広瀬公彦特任助教に話を聞いた。
万葉集のミステリー
万葉集は、7世紀から8世紀の歌を集めた現存する日本最古の和歌集であるが、その詳細は不明な部分が多い。例えば、約4516首あるうちの最後の歌は759年に詠まれていることから、万葉集が編まれたのはこれ以降かつ奈良時代であることは分かっている。だが、具体的に編まれた年代は不明である。
また1首目の歌については、5世紀を生きた雄略天皇が詠んだものとされている。しかし、これについては万葉集に権威付けをするために後世に作られた歌を雄略天皇のものとしたとみられている。このように歌が詠まれた年代についても不明瞭な部分がある。
典拠は「梅花の歌」
全20巻で構成される万葉集のうち、巻五に収録されている梅花の歌の場面が新元号「令和」の典拠となった箇所だ。この場面は大宰の帥(だざいのそち=大伴旅人)が自宅で催した宴において山上憶良をはじめとする参加者らが計32首の歌を詠むというものだ。
今回典拠となったのはこの場面そのものの序文に当たる「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」という部分である。この序文は宴の日の情景を表した文であり、「令」には「素晴らしい」という意味があり、「和」には「おだやかである」という意味があるという。詠み手が明記されている32首の歌とは違い、序文自体の作者は明確には示されていない。
国書の出典は初
今回の元号制定にあたり、歴代で初めて国書がその出典となった。安倍首相は談話にて、万葉集を「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」としている。これについて広瀬特任助教は「日本の国民文化は、外来のものを摂取するという特徴をもつものである」と話す。その特徴は今回の典拠となった「梅花の歌」にもあらわれているという。この場面で詠まれている「梅」というのは古い歌には登場しない外来のものである。その梅を外国からの窓口である大宰府で、都で日本文化を培ってきた官人たちが愛でている。ここで日本古来の文化と外来の文化との融合が果たされているのだという。
「途中からでも読んで」
新元号制定で注目の集まった万葉集。全20巻からなるが、巻ごとに性質は全く異なり、年代順・四季・歌物語などさまざまだ。広瀬特任助教は「初め(巻一)から読む必要はないので、この機会に万葉集を読もうと思った人は、自分の興味に合わせて途中からでも読んでほしい」と話した。