工学者としての喜びと教育への熱意を胸に ―英語学習のスペシャリスト 河合剛教授(前編) 【教員紹介 第1回】
「何か夢中になれるものを見つけてほしい」。そう語るのは外国語教育センターの河合剛教授だ。新入生の英語科目を担当しており、その強烈な個性が多くの学生にとって印象深い。北大教員へのインタビュー連載記事「教員紹介」の第1回目は、そんな教授のバックグラウンドに迫る。
言語学との出会い
現在では工学博士としてオンライン学習システムなどに携わる教授だが、過去には建築家を志望していたという。しかし大学に進学する際に、高校の先生から「お前は絵が下手だから駄目だ。英語が得意だから英語の教師になりなさい」と助言された。教師にもなりたかったという河合教授は建築家を断念し、英語と教育の道に進むことを決めた。また教授は科学者にも憧れていた。定量的な手段で真実を追い求めるという科学者の姿勢が性に合っていたという。
そんな中、言語学に出会った。「言語学は非常に自然科学的な学問だ。加えて英語や声真似が得意な自分にはピッタリだった」という。東京大学で言語学を修め、研究者としての第一歩を踏み出した。
留学中に研究員としてスカウトされる
東京大学での4年間を過ごしたのち、修士課程では違う学校に行きたかったという教授は都内の国際基督教大学に進学。そこでは教育法を学んだ。
修士課程を修了したのち、ロータリー財団から奨学金を受けスタンフォード大学に留学した。そこで非常勤の講師にスカウトされ、SRIインターナショナル(以下SRI)に就職。その後の約8年間をそこで過ごすこととなる。
SRI在籍中は音声認識システムの開発に携わった。当時は精度が低く、7から12のワードを1分かけて認識し、誤りもあったという。そのシステムが元となって作られたソフトウェアがiPhoneなどでお馴染みの「Siri」だ。SRIから独立した元同僚が完成させた。また、日本の企業から音声認識を利用した発音学習システムを作ってほしいと依頼され、それが後の研究テーマとなった。
「責任のある仕事したい」と博士課程へ
SRIで多くの人と出会い、研究活動を続けていた河合教授。だが、当時は修士の学位しか持っておらず、アメリカの会社では高い地位の役職に就くことは出来なかった。それは研究者として出来ることの範囲が制限されるということを意味した。「もっと責任のある仕事をしたい」と考え、博士課程に進むことを決意する。
しかし、アメリカで博士号を取るには5年以上の長い時間を必要とした。そこで教授はより短期間での卒業が見込める日本で東京大学大学院に入学。1999年、無事博士課程を修めた。
大学を渡り歩いた末に北の大地へ
大学院卒業後は、研究者として様々な大学を渡り歩くこととなる。
北海道大学にやってきたのは2003年。ITバブルが崩壊した影響で職を失い路頭に迷っていたところだった。同時期には近畿大学などにも応募していたが、本学の採用担当者に「河合さんをぜひ雇いたい。来るか来ないか今決めてほしい」と決断を迫られ、本学で働くことを決意。現在に至る。
就任後はオンライン学習システムを担当。また、1年生へ英語を教えるなど、本学の英語教育に大きく貢献している。
今回は河合教授の経歴について紹介した。次回は「Glexa」や白黒パピーの誕生経緯、河合教授の趣味について紹介する。